シーアイランドクラブ

2022.10.04

モンテゴ・ベイ番外編

「ここには届いていないけど、ビーチボーイズに聞いてみて!」と海辺のバーのお姉さんが言いました。

去る7月にジャマイカ入りをした翌朝、モンテゴ・ベイのビーチで社長の腕時計を探していたときの事。

すったもんだの挙句に辿り着いたジャマイカ、翌朝のまだ人が少ない時間に綺麗な海の写真を撮ろうと私が色んなアングルを試している間に社長は海に入ったりしていたのですが、部屋に戻りシャワーも浴びてから腕時計が無いことに気が付いたというのです。

荷物と一緒に腕時計を置いていた椅子の下には子ガニが走っているだけですし、向こうでは何やら怪しげな二人のお兄さんたちが「YOメーン!」みたいなことを言って手招きしているけど、肝心の時計はどこを見てもありません。

お兄さんたちに笑顔で手を振りつつ距離を取り、反対側の海辺のバーで落とし物として届いていないかと聞いてみたところ、言われたのが冒頭のセリフです。

さすがの私もこの場合の「ビーチボーイズ」はアメリカのグループのことではないということは分かるので、素直に「それはどなたたちのことでしょう?」と聞くと、(嫌な予感はしていましたが)お姉さんは先ほどのお兄さんたちを指さすのです。

私は内心「うわー」と思いながら二人に近づきおずおずと「腕時計を探しているのですが。。。?」と言うと、一人がちゃらんと腕時計を出してきて「これのこと?」と。私がぺこぺことお礼を言うと、「だからさっき呼んだのに、お前はあっち行ってしまうから」と。返す言葉もありません。

そもそも、このビーチもホテルのお客さんとスタッフしか入れないところですので、怪しい人が入れるわけもないのです。というと、どんな高級ホテルなんだと思われるかもしれませんが、ここモンテゴ・ベイの多くのホテルはオールインクルーシブといって、ホテル代金に全て込み込みで、ホテル内の食事やアクティビティに対し追加料金が発生しないようになっています。チェックイン時になにやら「浅草はなやしき」のパスポートみたいなプラスチックの腕輪を付けられ、ことあるごとにそれを見せるのです。

来る前、私は「ステーキ食べ放題かも!」と大いに期待しておりましたが、残念ながらこのホテルにおけるステーキに一番近いメニューはヤギのカレーでした。美味しかったですけどね。オールインクルーシブもピンキリです。

我々の宿はジャマイカ人も多く泊まるリーズナブルなところでしたが、高級なホテルになると敷地内に映画館まであって、宿泊客は外に出ないとか。以前に東カリブのアンティグアなどで見た豪華客船を思い出しました。お客さんはそれこそ景色を見たり海に入ったりするだけで、「地元にはお金を落とさない」と現地の人がぼやいていました。たとえ敷地から出ないにしろ、現地の人を雇うホテルの方が客船よりはましかもしれません。。。

ビーチから戻り、キングストンへ出発するまでの数時間のあいだ、せっかくなので私たちはタクシーを手配し、モンテゴ・ベイの様子を見物に出かけました。

日曜日の午前、皆さんまだ寝ているのかミサに行っているのか、人通りはそれほど多くありませんでした。街の中心らしいところでタクシーを降ります。地元の人が付いてくれているから安全かなと我々もカメラを手に外へ出ました。

運転手さんは私たちを数体の銅像が立っている一角に案内しました。その銅像たちは何かのシーンを再現しているように配置されています。喧嘩しているようにも見えるし、演説をしているようにも見えるし。

このモニュメントの中心人物(写真奥で本を抱えている人)はサミュエル・シャープというバプティスト教会の説教師さんで、19世紀前半に奴隷の地位向上のために戦った人です。

シャープさんはストライキという平和的な手段を通じて、奴隷たちのより大きな自由と「賃金」を要求しました。このモニュメントはその初期、シャープさんが血気はやる仲間を諭し、平和的なプロテストを説いている場面です。横では女性や子供がリラックスした雰囲気で腰を下ろしています。時代も国も違いますが、なにやら「怒りの葡萄」のケーシーを彷彿とさせます。

しかし、いつしかプロテストは反乱へとエスカレートしていき、1832年に鎮圧されるまでに全国の1/5に相当する60,000人もの奴隷を巻き込みました。「私は奴隷として生きるよりも、絞首台で死にたいと思う」と言ったシャープさんも、その言葉通り絞首刑となります。

その後、鎮圧から間もない1838年、大英帝国の植民地において奴隷制が廃止されましたが、それにはこのジャマイカの反乱が大きな影響を与えたそうです。さらに時がたち、独立後の1975年にシャープさんはジャマイカのナショナルヒーローとして政府により正式に宣言されました。

ところでシャープさんも説教師でしたが、ジャマイカは大変キリスト教会が多いです。運転手さん曰く、人口に対する教会の数は世界一だと(眉唾)。多くはプロテスタントの諸派で、古いアングリカン教会にも連れて行ってもらいました。パイプオルガンと共にスティールパン(スチールドラム)が並んでいるのがカリブらしかったです。スチールパンを使うなんてどんな讃美歌になるのか、ミサに参加してみたかったです。

なお、モニュメント横にある石と煉瓦で出来た小さな建物は、かつて奴隷用の監獄として使われていたそうです。もしかするとシャープさんもここに捕らえられたのかもしれません。運転手さんは1,000人以上が詰め込まれていたと言いますが、さすがに無理と思われます。6メーター四方ほどの建物ですので。ただ100人としても、身を横たえることすらままならない劣悪な環境だったのは間違いありません。

市内を離れ、運転手さんは私たちを裏手にある山へと連れて行ってくれました。その途中、貧困地区を通過しました。いや通過したというか、「ツアー」の一部として連れていかれた感じでした。この感覚は私には理解できなかったのですが、日本人がここで観光タクシーを利用することは滅多に無いでしょうし、普段のお客さんはアメリカやイギリスからくる白人でしょう。彼らに受けがいいので我々も連れて行ったということなのかどうか、、、

ちょっと見晴らしの良いところで車を止め、また外に出ます。運転手さんが「あれはマリファナ畑だよ」と指さすのですが、どこのことやらよくわかりません。もしかしてあれ全部?という草原のようなものはありました。仮に山火事になったらモンテゴ・ベイの町全体がハイになりそうなレベルです。(ごめんなさい、写真が見当たりません。)ジャマイカでは、一人当たり3株まで合法にマリファナを栽培できると運転手さんは言うのですが、もうこの時点ではこの運転手さんの言うことをどこまで信用して良いのか疑問に感じていたので、軽く流しておきました。でも、簡単にドラッグが手に入るのだろうなとは感じました。

ジャマイカの歴史の勉強にはなったものの、あまり良い写真は取れなかったつかの間のモンテゴ・ベイツアーですが、キングストンへの出発時間も近づいてきたのでホテルに戻ってもらうことにしました。運転手さんが「最後にもう一か所」と連れて行ってくれたのはお土産物屋さん。

これはもしかしてお客さんを連れてきて売り上げに対しバックマージンもらうつもりだな、と私は勝手に決めつけていたのですが、店内に入ると運転手さんは商品に目もくれず、店を通り抜けて裏に出ていきました。

店の裏はバルコニーのようになっており、モンテゴ・ベイの町の全貌が見渡すことができました。素晴らしい景色です。我々が入国した空港からホテルの地域、モンテゴ・ベイの中心街、そしてそれらを縁取る素晴らしい海が一望できました。最後に満足させてもらい、我々は気分よくホテルに戻ることと相成りました。

最後に余談。

ビーチボーイズの話が出たので、ジャマイカに関係のある曲をご紹介しましょう。私もビーチボーイズが好きで、お気に入りはブライアン・ウィルソンが中心だった60年代ですが、日本で有名なのは1988年にヒットしたココモではないでしょうか。

「フロリダの島々の先に、ココモと呼ばれる場所がある」という歌詞で始まるこの曲、一説によるとココモとはモンテゴ・ベイの東にあるSandal Cayというリゾートのことではないかと言われています。歌の中にはジャマイカ、モンテゴ(、おまけにモンセラート)といった地名もそのまま出てきます。

この曲、同年公開の『カクテル』というトム・クルーズ主演の映画のサントラに使用されていました。曲中ではスティールパンの音色も聞くことができます。

どうでもいいことですが、事務所で私の隣に座るF氏はトム・クルーズと同い年だそうです。「ふーん」としか言いようがないですが。

Inquery

お問い合わせ

お問い合わせについてはsic@kaitoumen.co.jp宛へのメールか、
以下フォームよりお気軽にご連絡ください。
各種質問も受け付けしておりますのでお気軽にどうぞ。