2026-01-15
JOIN THE SEA ISLAND CLUB!【海島綿Webマガジン第10号】
Happy New Year!
いきなり自分事で恐縮ですが、今年は成り行きで初詣に3回も行ってしまいました。
2回目の神社での出来事。並んでいるわきに厄年関連の一覧表が貼ってありました。神社には必ずと言っていいほどありますよね。で、厄年は通過済みゆえ普段は気にも留めないのですが、今回は隣になにやら見慣れない張り紙が。
よくよくみると「八方塞がり」と書いてあります。「よくわからないけど禍々しい。。。」と思いながらその下に書かれている該当する生まれ年を見ていると、よりによって来年は私の番のようです。見なければよかった。
仕事始めの日、さっそく社長に「私は来年八方塞がりです!」と報告したら「新年早々縁起の悪いこと言うな!今年何をするか考えろ!」と活を入れられてしまいました。確かに。
来年はともかく今年の私は運勢がめっぽう強いとのことで、特に人とのつながりを大事にしたら最高の年になるそうです。こうなったら良いことだけを信じて、今年もシーアイランドコットンのつながりを広げていきたいと思います。
あらためまして本年もどうぞよろしくお願いいたします!
今月のトピック
✅海島綿の始まり
新年早々カリブ海周辺では大騒動が持ち上がっていますね。この余波が世界をどのような方向へもっていくのか、当事者を含め誰も見通せていないでしょう。いつの日か、2026年を世界の分裂が決定的となった年として振り返るときがくるのでしょうか?
そのカリブ海が世界史に登場して530年余り。実は海島綿の歴史は、少なくとも書かれた歴史という意味ではカリブ海の歴史と「全く同じ長さ」を持ちます。当時は『大航海時代』という世界が一体化へと向かう激動の時代でした。それにしても「全く同じ長さ」とはどういう意味でしょう?

Stich, Abbildung, gravure, engraving : 1892
海島綿がその「書かれた歴史」に登場する日はピンポイントでわかっています。
その日とは、1492年10月12日

Stich, Abbildung, engraving, gravure : 1892.
Christophus Columbus and spanish queen Isabelle
この日は、西回りでもインドへ到達できるに違いない!と信じたクリストーバル・コロン(コロンブス)が、すったもんだの挙句スペインのカトリック両王の出資を取り付け、同年8月3日に3隻の船団を組みスペインを出港し、カナリア諸島を経由する長旅の末に現在のバハマ諸島サン・サルバドル島と推定される島に上陸した日です。
このコロンブスの第1回目の航海に関しては、コロンブス自身による日誌をドミニコ会のラス・カサスという神父さんが編纂したものが「コロンブス航海誌」と題する本になり、日本語でも岩波文庫(絶版)で読めます。

私も今回あらためて古本を手に入れ読んでいるのですが、カナリア諸島を出港して1か月余り、不安がる部下たちをなだめながら未知の海域の奥深くへと踏み込んでゆき、水平線の雲を陸地と間違え、鳥を見つけては「陸が近い!」とぬか喜びを繰り返すこれらの出来事が、コロンブス自身の手によって書かれた文章を通じて追体験できるということに興奮しました。
サン・サルバドル島に上陸したコロンブスは早速島の先住民と接触をします。コロンブスが友好のしるしに帽子やガラス玉などをプレゼントすると先住民は大いに喜んで持って帰り、彼らなりのお返しを持ってきました。それは「オウムや『綿糸の糸玉』や投げやり」だったそうです。もちろん、この当時「海島綿」という言葉は無いのですが、のちの研究によりこの時の綿の品種はバルバデンセ種とされています。

Stich, Abbildung, gravure, engraving from Th. de Bry (1590) & Bertrand & Huyot : 1877
以後も新しい島に上陸するたびに綿花の存在に関する記述が出てきます。カリブの島々では想像以上に生活に綿花が根付いていました。先住民による綿の用途としてはショールのようなもの、女性の下着(ん?女性だけ…?)、寝床としてのハンモックなどがあったとのこと。興味深い記述としては1本の木に殻や綿花、花が混在しているのが観察され、1年中採取できたようです。そして、キューバでは「果包は大きくて上質である」とコロンブスは述べています。
このように西印度諸島では綿花がふんだんに見られたのですが、これを商業化したのは、皆様ご存じの通りスペイン人ではなく英国人で、時代もさらに下ってからになります。そして「シーアイランドコットン(海島綿)」という名前になったのは19世紀、このコットンがアメリカ合衆国に持ち込まれてからのことでした。
スペイン人は黄金とキリスト教の布教にしか興味がなかったようです。事実、コロンブスは先住民が金の装飾品を身に着けているのを見て、「シパングは近いはず」とすぐに日本の探索に取り掛かります。
いずれにせよ、皆様が手にされる海島綿の歴史は、今から533年と3か月前にカリブ北部のある島で一人の先住民の手からコロンブスの手に綿糸のボールが渡された瞬間に端を発するのです。その後アメリカ、カリブ、再びアメリカと主要な産地を変えつつも、その時の血筋そのままに受け継がれてきました。
以下余談です。 コロンブスは自分が到達した地をインドだと死ぬまで信じていたと伝えられています。綿花が多く栽培されていることもその勘違いを助長したとかしないとか。このためこのカリブ海周辺の島々は西印度諸島(ウエスト・インディーズ)と呼ばれています。米州諸国では先住民を「インディアンもしくはインディオ」と呼んでいた時代もありました。

Monument to Christopher Columbus (by Odoardo Tabacchi, 1892), Santa Margherita Ligure, Liguria, Italy
アメリカ大陸全体において、先住民は不当な扱いを受けてきました。その中でもコロンブスと出会ったカリブ海の先住民の運命は苛烈なもので、この出会いから半世紀後にはほぼ絶滅してしまいます。今回ご紹介した「コロンブス航海誌」をまとめたラス・カサス神父は「先住民の守護者」といわれ、新世界における先住民の不当な取扱いを告発したことで有名です。しかし、その対策としてアフリカから奴隷を導入することを提案するなど(後年その非を認めたようですが)、やはり今の感覚からはズレがあります。
✅海島綿豆知識 #8
結局のところ海島綿の出身地は? ― 5,500年の旅路をたどる「3つの故郷」
「海島綿(シーアイランドコットン)」という名称を聞いて、真っ先に思い浮かぶのは青い海に囲まれたカリブ海の島々かもしれません。しかし、その「出身地」を深く掘り下げていくと、私たちは5,500年にわたる壮大な移動の歴史を旅することになります。今回は、海島綿が持つ「3つの故郷」という切り口から、この素材の奥深さを感じていただければと思います。
- 歴史の表舞台に立った「カリブ海」
今月のトピックにあるように海島綿が初めて「歴史」の記録に登場したのは1492年のことです。イタリアの探検家コロンブスがバハマ諸島に上陸した際、先住民から贈られたものの中に、しなやかな綿のボールがありました。 当時すでに、カリブの島々ではバルバデンセ種(G. Barbadense)の綿花が栽培されており、これがのちにヨーロッパで「門外不出の至宝」として珍重されることとなるのです。
- 名前のルーツとなった「アメリカ東海岸」
「シーアイランドコットン」という名前は、カリブ海ではなくアメリカの地名に由来しています。18世紀後半、カリブから持ち込まれたバルバデンセ種が、アメリカのジョージア州やサウスキャロライナ州の「シーアイランド地方」で栽培され、爆発的な成功を収めました。 この地で育った綿があまりに素晴らしかったため、人々は敬意を込めて「シーアイランドの綿(シーアイランドコットン)」と呼ぶようになりました。私たちが使う「海島綿」という言葉は、この地名を日本語に直訳したものです。
- DNAが刻まれた南アメリカ
しかし、海島綿の「種」としてのルーツは、さらに南へと遡ります。最新の研究や考古学的発見によれば、海島綿(バルバデンセ種)の原産地は南米ペルー・エクアドルの国境付近の海岸地帯であることがわかっています。 その歴史は驚くほど古く、およそ5,500年前の遺構からは、当時の人々がこの綿を紡いで漁網や衣類を作っていた形跡が見つかっています。アンデス山脈の雪解け水と乾燥した砂漠が生んだ繊維が、数千年の時をかけてカリブへ、そして北米へと旅を続けてきたのです。
ただ意外にも南米のバルバデンセの原種は繊維長はそれほど長くなく、ごわごわした風合いだそうです。数千年をかけて南米からカリブを経由し、最終的にアメリカで花開く各過程で人の手によって利用され、選別されることによって今の海島綿のクオリティが出来上がったのです。
南米で生まれ、カリブで発見され、アメリカでその名を確立した海島綿。出身地をどこと取るにせよ、変わらないのはその「純血性」です。現在私たちが扱っているアメリカン・シーアイランドコットンも、DNAを辿ればこの5,500年前の源流へと行き着きます。
あとがき
またまた自分事で恐縮ですが、年末に「エディントンへようこそ」という映画を見てきました。プロモーション写真に写る街の風景がどうみてもニューメキシコ。「ここ知っている!」と思うほどなじみのあるものだったのです。案の定、舞台設定はニューメキシコのエディントンという架空の町でした。アメリカン・シーアイランドコットンの畑の近くにまさにその写真のような街並みがあります。

題名はパディントンみたいですし、紹介文には「コメディー」と書いてあったのでほのぼのしたものを想像して親近感を持って見てまいりました。で、鑑賞後。「この映画は何?」としばらく呆然としていました。周囲の反応も似たり寄ったり。
正直言いますと、オープニングで“A24”と出てきた時点でこの映画について勘違いしていたことはわかっていました。ネタバレはしませんが、後半の展開はコメディーと言えなくもないかもしれません。ホアキン・フェニックスがすべてをさらけ出して頑張っています。大変後味の悪い映画だと思ったら監督はアリ・アスターです。ここだけ妙に納得です。ちなみに彼はニューメキシコに住んでいた時期があったようです。
結局のところロケ地は知らない場所でした。あらためて調べたらニューメキシコ州は日本の本州より大きいのです。こういう風景がいたる所にあるのでしょう。(ITO)
