第2章旅するシーアイランドコットン 番外編 | シーアイランドコットン|シーアイランドクラブ株式会社

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コラム

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第2章旅するシーアイランドコットン 番外編

番外編
~シーアイランドコットンと超長綿の「家系図」~

コットン好きの皆さんの中には『世界三大綿』という言葉を耳にされたことがある方がいらっしゃるかもしれません。

その三つとは、アメリカのピマ綿、エジプトのギザ綿、そして中国の新疆綿だそうです。この三つがどういう基準で選ばれているのかは分かりませんが、おそらく流通する数量が大きく、且つ一定の品質を持つものとして選ばれているのだと想像しております。

さて、この世界三大綿はどれも「超長綿」としても有名ですね。おさらいすると、超長綿とは平均繊維長が34.9㎜(1.375インチ)を超えるものの総称でした。

ただし、このうちギザ綿はエジプトで栽培される綿花の総称であり、実際には開発番号によって質は大きく変わります。有名なGiza45、Giza88などは超長綿ですが、Giza86、Giza90のように長綿に分類されるものもあり、必ずしも全てが高品質というわけではないようです。

ちなみに国際綿協会(ICA)や日本のボーケンが発行する産地別のデータなどを見ると、超長綿に分類されていても、作柄によっては34.9㎜の基準を超えていない年があったりします。。。農作物ですからね。

さてこの「三大綿」に限らず、今や有名無名を含め様々な名称の超長綿が存在し、ウンチク系の雑誌でも数年に一回くらいは超長綿の特集を見かけたりします。

シーアイランドコットンを専門に取り扱う弊社としては負けていられないと、シーアイランドコットンを中心とした「超長綿の家系図」を作ってみました。

それが下の図ですが、これをご覧になったアパレルさんには結構評判が良いです。よく見ると、シーアイランドコットンのある特徴が隠されているのですが、それが何かは後でご説明します。

ちなみに、この図を作る際に参照した主なソースは:

Porcher and Fick. “The Story of Sea Island Cotton.” Gibbs Smith, 2005.
Smith and Cothren, editor. “Cotton: Origin, History, Technology, and Production” Wiley, 1999.

です。

以下、図をご説明します。

シーアイランドコットン

中心を縦に貫く形でシーアイランドコットンの移り変わりを記載しました。

始まりは南米大陸でしたね。その大西洋側沿岸を流れるフンボルト海流は南極海よりやってくる水温の低い寒流で、海水の蒸発を抑えるため雨雲を発生させず、チリからエクアドルにかけての海岸地帯は砂浜がそのまま内陸部へと何キロも続く砂漠となっています。

歴史的にこの地帯で見られる植物といえば、アンデスの雪解け水を海へと運ぶ流れが年月をかけて作り上げた谷の周りに住み着いた南米の先住民が、精巧な灌漑設備を用いて営む農業によるものでした。今も、海岸地方からアンデスに向かい谷をさかのぼっていくと、数百年前から利用されている水路が現代の農家さんにも利用され続けている様子がみられます。

 そんな谷の一つ、ペルー北部太平洋岸のサーニャ川支流の谷において「綿花」の考古学的遺物が発見され、年代測定の結果およそ5,500年前のものと判明しました。リマ北部のアンコン-チジョン地域でも4,000年ほど前のコットンボールが見つかっており、当時は漁網、貯蔵袋、そして衣服に使われていたと推測されています。

当然「シーアイランドコットン」という名称はありませんでしたので、このコットンは分類学上の呼称である「(ゴシピウム)バルバデンセ」という名で呼ばれています。これがカリブ海へわたり、更にアメリカにもたらされた時点で初めて地名にちなんだ「シーアイランドコットン(海島綿)」という名前が付きます。

これがカリブに戻り「西印度諸島海島綿(カリブ産シーアイランドコットン)」と呼ばれ、それがまたアメリカに戻って「アメリカン・シーアイランドコットン」と呼ばれるようになりました。最初のアメリカにおけるシーアイランドコットンをコシヒカリとすると、これらは○○産コシヒカリみたいなものでしょうか。

シーアイランドコットンの移り変わりが地理的なもの「だけ」であることにご注意ください。つまり、その場所を南米からカリブ、アメリカへと移動してきたその道程において同じアメリカ大陸原産の原種との間に自然交配があった可能性はありますが、人為的な交配の形跡が見られません。

特に交配の技術が進んだ現代においてもそれは変わらず、例えば最新のアメリカン・シーアイランドコットンにおいても、使われている種は実質的にはカリブのバルバデンセのままです。

エジプト綿

1861年からはじまるアメリカの南北戦争はその後の世界の超長綿栽培の分布に大きな影響を与えます。アメリカ南部からの綿花の輸出停止をちらつかせ、英国の支援を引き出そうとした南軍に対し、英国は供給元をエジプトに移すことで応えました。

エジプトでは既にその数年前にシーアイランドコットンと現地種のJumelとの交配から独自の超長綿Ashmouni種を作り出していたのです。

 政府による後押しもありエジプトの綿花栽培は急激に伸びましたが、南北戦争の終結とともに再びエジプト綿への需要は激減し、ヨーロッパの銀行からの借入で投資をしていたエジプトの経済は大ダメージを受け、スエズ運河建設に伴う負担とともに1882年に英国の保護国となる要因となってしまいました。しかし皮肉にもこの出来事が現在のGIZAシリーズをはじめとするエジプト、およびその後エジプトから独立するスーダンの綿産業の礎となります。また、エジプトもしくはスーダンから東に種がもたらされ、新疆綿になったということです。

その他の超長綿

現在、アメリカを中心栽培されているピマ種は、エジプトでGizaシリーズが開発される前のMitafifiという品種が、ゾウムシの虫害でシーアイランドコットンが絶滅の危機にあった20世紀初頭のアメリカに再導入されて、品種改良されてできたものです。その栽培において政府に協力をしたネイティブアメリカンの部族名にちなみ、「ピマ」という名前になったと言われています。

ピマはエジプト綿を源流とすることから、元をたどればシーアイランドコットンとJumelの交配種ということになります。のちにピマ種はペルー、イスラエル、スペインなど世界各地に移植されました。

最後に現在超長綿の中で比較的知名度の高い「スビン」ですが、その歴史は比較的浅く、カリブに戻ってからのシーアイランドコットンが1970年代にインドにもたらされ、やはり現地種のスジャータというコットンと交配されてかの地に根付いたものです。

このように、世界に存在する「すべて」の超長綿は、元をたどるとアメリカにおいてシーアイランドコットンと呼ばれるようになっていたバルバデンセ種に行きつきます。アメリカの南北戦争、英国によるエジプトの保護国化など、歴史上の大事件に翻弄されながらも旅をつづけたシーアイランドコットンは、それぞれの土地に根付く現地種と交配され、分家を形成していったのです。

私たちがお届けするカリブ産、アメリカ産のシーアイランドコットンは、いうならば本家筋ということになります。私たちはこの純粋さを未来へと残していく使命を感じていますが、それはピュアであることそのものが目的ではなく、自然によって作られながらも人の審美性、官能性に訴えかける品質を持つに至ったこの稀有な素材への畏敬の念がそのモチベーションになっています。

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