シーアイランドクラブ

2022.09.01

パライソ~楽園~

久々の現地視察で、迎える側も迎えられる側も張り切っているのか、今回はジャマイカの島を車で縦横無尽に走り回り、あちらこちらに足跡を残してまいりました。

初日のエバンスさんの運転は相変わらずスリル満点で、私は助手席で存在しないブレーキを踏みまくり、歩いてもいないのに足が疲れました。エバンスさん曰く。

「ローラーコースターみたい?シーアイランドコットンを手に入れるのはいつも冒険だって日本へ帰ったらお客さんに話してあげな!ウエッヘッヘ」

ローラーコースターはレールに沿って走るのでむしろ安心、ということはさておき、思い返せばこれまでのアンティグア、ネーヴィス、ベリーズと海島綿を求める旅は毎回のようにアクシデントに見舞われていました。

とある島国へ行った時のこと。飛行機が遅れに遅れ、真夜中に到着。ホテルは「来ないと思った」と勝手に別のお客さんを泊めてしまい寝る場所がない。タクシーの運転手さんが別のホテルに連れてってあげるというのですが、車はどんどん真っ暗で人気のないところに入っていき、「身ぐるみはがされてどこかに捨てられるのかな?」と心細い思いをしたこと。。。

選挙前の某国。農務省に表敬に行ったら、大臣が記者会見を用意していて、報道陣の前で景気のいいことを話すよう促されたこと。。。

こういった出来事を思い出すと、このようにアテンドしてくれるカウンターパートのいるジャマイカはものすごく有難い環境です。でも、彼の運転は本当に怖い。

それと比べて、二日目に案内してくれたHさんは運転も話し方もジェントルでした。アメリカ出身のHさんは2か所の畑を管理してくれています。畑の中を歩いていても、町中を車でゆっくりと走っていても、スタッフや知り合いを見つけるとそばに行って、すごくナチュラルに「調子はどう?」という感じで声をかけています。

彼は新しいジン(綿繰り機)を購入し、首都キングストンの港近くの倉庫で稼働させています。我々も島を横断する途中で寄らせてもらいました。倉庫の1ロットを借り切り、真新しいジンとプレス機が頑丈なプラットフォームに据え付けられています。傍らには畑から運び込まれたシードコットン(種付きのワタ)がシートの上に広げられ、乾燥を待っていました。よく乾燥させないと、ジンの中で種が潰れてコットンが油で汚れてしまいます。

機械の傍らでは若いお兄さんが一人でてきぱきと掃除していました。

Hさん曰く、「彼はジャマイカでもゲットーの中のゲットーの出身だ」といいます。ゲットーとは穏やかではありませんが、ジャマイカではどうやら最貧困地区といった意味で使われているようです。Hさんと一緒に働くようになってから、彼は学校へ行きたいと考えているそうです。

前回のコラムで、安定した仕事の機会を作るために、年間を通して海島綿栽培をする試みについてご報告しました。本来はこのジン作業も収穫期の数か月という短期の仕事なのですが、もし数か月ごとに畑からシードコットンが運び込まれるようになると、このお兄さんもより安定した収入を得られるようになるかもしれません。色々うまくいくといいですね。

この日はもう一件畑へ行きました。天気はどんどん良くなっていきます。

この畑は斜面にあり、海が良く見えます。そして、敷地内にはコットンだけでなくマンゴーの果樹園、レモンやアボカドの樹、サワーソップ(グアナバナ)の樹などが立ち並び、一部では果樹の間に海島綿の樹が植えられていて、アグロフォレストリーを彷彿とさせるアレンジがなされています。

畑の傍らではHさんが家を建てている途中で、完成したらキングストンではなくここに住みたいと言っています。海がよく見える場所には、スタッフがHさんのために椅子を設置していました。ここで海を見ながらビールを飲むのだそうです。下の海沿いには例のココナッツ屋さんもいます。これぞパライソ(楽園)といった感じです。

ここの畑はあと1週間ほどでボールがはじけ始めるというところで、たくさんの大きなボールが実っていました。昔から、海島綿は海風を好むと言われてきました。実際にコットンは塩分の高い土壌でも育つのですが、もしかすると塩分の存在こそがクオリティにとって大事なのかもしれません。そういえば、アメリカン・シーアイランドの産地は海から遠く離れているけれど、土壌の塩分濃度が高めの土地でした。何かあるかもしれませんね。

一通り畑を見終わった後、スタッフが遅いお昼ご飯を用意してくれるらしく、小屋へ向かうと、皆ドミノをして遊んでいました。トランプじゃないところがいかにもカリブって感じです。Hさんは怒るでもなく「おいおい今日は半休だったっけ?」みたいな感じで冗談を飛ばしています。

料理なんかしたことない(え?)という彼らですが、鯛みたいな魚のエスカベッシュ、野菜の炒め合わせ、フィエスタ(パーティ)と呼ばれる揚げドーナツみたいなものを手際よく用意してくれました。どれも大変おいしくいただきました。

今回は実質二日間の滞在でしたが、土地、人、話される言葉(パトワ語)、食べ物などが混然とした土着の文化(カルチャー)の魅力を感じることができました。「文化」というと何となく音楽とか観光客向けの民芸品とかを思い浮かべてしまうかもしれないので、土着の普通の生きた人々の生活と言った方が良いかもしれません。

彼らからすると当たり前すぎて何が魅力なのだと思われるでしょうが、彼らの世界の一端に触れることができたという感覚は、ある種の満足感に近く、且つ人に語りたくなる、これもラグジュアリーな体験と言えるのではないかと感じます。

そんな彼らが土地に働きかけ作り出す海島綿から生み出される製品を、日本にいる一般の方が身に着ける行為にまでこの感覚を落とし込んで追体験してもらえたら面白いだろうなと、日本に帰ってからリフレクションしています。あの場で感じたことを言語化するのは思った以上に難しく、今後も現地へ行くたびに試行錯誤しながらお伝えしていきたいと思います。

とりあえず今回の旅は終了です。



。。

。。。

ここからは余談です。海島綿に関係あるような無いような。前々回のコラムで、ジャマイカ行きの飛行機内で見たミュージカル映画の話をしましたが、帰国後もはまっております。

その際ご紹介した「In the Hights」を、次のカリブ出張の際にはNY経由にしてライヴで見に行ってやろうと探したものの、残念ながら舞台は既に終了しておりました。ただ、同じクリエイター(Lin Manuel Mirandaさん)による「Hamilton」という作品は今も上演されているだけでなく、日本でも某サービスで丸ごと配信しているということがわかり、ちょうど自宅で契約していましたので、繰り返し見ています。

タイトルのHamiltonとはアメリカ建国の父の一人アレクサンダー・ハミルトンのことで、現在の10ドル札の肖像にもなっています。独立戦争を戦い、合衆国憲法を起草し、初代大統領ジョージ・ワシントンのもとで初代財務長官を務めるといったように18世紀の後半に大活躍した人ですが、あまり日本では名前は知られていない気がします。大変な文筆家で、文章で人を動かすタイプのかただったようです。49歳で決闘でお亡くなりになるやんちゃな一面もありました。(私も49歳でコラム程度は書きますが決闘はしません。)

歴史ものというと、ちょっとお堅い感じのミュージカルかと思われるかもしれませんが、セリフはユーモアにあふれ、音楽は大変ポップでどちらかというと『黒い』。前作同様キャッチ―な歌が次から次へと流れていきます。またお気に入りの一曲をご紹介しちゃいましょうか。スカイラー三姉妹登場の場面ですが、後半なんかDestiny's Childを彷彿とさせるノリ(少々例えが古い)。ニューヨーク賛歌でもあるので、お客さんも盛り上がっていますね。

。。。気のせいでしょうか、『海島綿と関係ないじゃないか』とお叱りの声が聞こえてきます。

実は無いこともないのです。繋がりが。

ハミルトンさんの出身地はアメリカ本土ではなく、西印度諸島の一つネーヴィス島。

ネーヴィスといえば海島綿ファンで知らない人はない、塩害ならぬ猿害によって海島綿栽培が壊滅してしまった島ですね。猿がコットンボールを食べてしまうというのには面食らいました。

現在でも人口が1万人余りの小さな島国です。私も何回か行きました。あの時歩いたあの街で、偉大なるアメリカ建国の父が生を受けたというのは意外でした。もちろん当時は大英帝国の植民地でしたので、今でいうネーヴィス人とは違うのかもしれませんが。。。

何だか、もうどんな話題でも海島綿に結び付けることができる気がしてきました。ちょっと無理やりでしたが、Hamiltonは本当にお勧めです。

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