シーアイランドクラブ

West Indian
Sea Island Cotton

「繊維の宝石」

1492年カリブ海の島に到達したコロンブスによってその存在が世に知られることとなったバルバデンセ種の綿花。この一帯が英国領となったのちその栽培が始まり、18世紀に最初のピークを迎えました。しかし18世紀後半になると米国においてもバルバデンセ種の栽培が開始され、のちに「シーアイランドコットン(海島綿)」の名で米国での生産量が爆発的に拡大する頃にはカリブ海の島々における栽培は一旦衰退します。

カリブ海においてシーアイランドコットンの栽培が再び拡大するのは20世紀初頭です。米国で更なる品質向上を受けた種子がカリブ海の島々に導入されたときでした。再び勢いを取り戻したカリブ海のシーアイランドコットンの商業栽培は、英国政府によって設立された海島綿協会によるサポートを得て「West Indian Sea Island Cotton(西印度諸島海島綿)」という世界で初めてのブランド綿に進化します。

英国からの独立などカリブ海諸国における社会経済の変動の結果、現在はジャマイカが唯一の西印度諸島海島綿の生産国です。私たちは現地NPOの協力のもと農家と直接契約をしてシーアイランドコットンの商業栽培をしています。作る人の顔が見え、トレーサビリティが確保されている最高級の素材です。

フェアなトレードを心掛けて

綿花には植民地のプランテーション(大規模農園)において、労働者を搾取しながら栽培されてきた負の歴史があります。現在でも一部の生産国において児童労働など不適切な慣行の存在が指摘されています。しかし私たちが携わるシーアイランドコットン(海島綿)栽培は使う人だけでなく、生産者への配慮も同等になされています。例えば綿花の価格は生産コストをカバーするのは当然のこと、働く人々が適切な賃金や利益を得られるように話し合いのもと決められ、綿花市場において機械的に決定されるものではありません。その水準は、主要なフェアトレード認証基準を大きく上回るものです。

手摘みの理由

ジャマイカのシーアイランドコットンの栽培は、今でも多くの作業が手で為されます。中でも、象徴的なのはコットンボールの収穫です。
コットンボールは棉木の下から上へ順次成熟し弾けていきます。ジャマイカでは1本1本の木の成長に合わせて成熟したコットンボールを一つ一つ最適なタイミングで収穫するために手摘みをしています。
また、ジャマイカでの栽培は毎年雨期と乾季のサイクルに合わせて行われます。灌漑に使う水も雨水を貯めたものです。近年雨季の始まるタイミングなど自然環境が不安定となっていますが、私たちも長期的な視野のもと農家をバックアップしながら、生産の安定に取り組んでいます。

現地NPOとの取り組み

ジャマイカにおけるシーアイランドコットン栽培の歴史は古く、18世紀初頭、近年では1990年代と複数回にわたり綿花栽培がなされてきました。
2014年に始まるリバイバルにおいて重要な役割を果たしたのがジャマイカ農業開発基金(JADF)です。サトウキビやバナナに偏るジャマイカの農業を多様化するために設立されたこのNPO法人は、農家が新しい作物に取り組む際のサポートをしています。2013年に私たちが現地に赴き農家との取り組みをする際に協力いただき、現在もパートナーです。

一般社団法人
西印度諸島海島綿協会

一般社団法人西印度諸島海島綿協会(WISICA JAPAN)は日本及び東アジアのマーケットにおける商標管理と、会員が取り扱うシーアイランドコットンのトレーサビリティの保証をしています。1975年に日本への原綿供給が始まったその翌年、カリブ海の海島綿協会の日本支部としてスタートしたこの協会は、日本のアパレル企業をその会員としています。協会にライセンス登録をすることにより、カリブ産のシーアイランドコットンの糸と、上記のロゴマークの入った下げ札を使用できるようになります。
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