シーアイランドクラブ

2022.08.04

ささやかな夢

コロナ禍になってから初めての海島綿産地への視察は、実に4年ぶりとなるカリブ出張です。新しい畑の状況と遅れがちな原綿の出荷を急かすために、ジャマイカへ行ってまいりました。

出発前から、世界各地の空港では旅客の回復に対して職員の増員が追い付かず、大混乱しているというニュースを見聞きしていました。今回の中継地であるダラスでの乗り換え時間はそれほど長くないため、荷物も機内持ち込みサイズに制限し、現地カウンターパートへのお土産だけで半分くらい埋まってしまった2~3泊用のスーツケースを転がしながら、私は1週間の旅の出発地点である羽田空港に到着しました。

今回のジャマイカ入りは首都キングストンからではなく、北西海岸のリゾート地、モンテゴ・ベイです。旅程を決めた社長曰く、日本からジャマイカへ当日入りするには「モンテゴ・ベイへ行くしかない。」

本当かしらんと調べてみると、確かに直接キングストンへ行くにはどうしてもマイアミなどアメリカで一泊することになるようです。どちらにせよキングストンへは翌日に着くことになるので、マイアミでもいいのですが、どうせなら現地の綺麗な海の写真も取っておこうということで、モンテゴ・ベイ経由となりました。

とりあえず出発便の時刻表を見てみると、ダラス便の横にまるで当然のように「Delay遅延」の文字が表示され、出発予定時刻は19時過ぎ。ちなみに私は午前1055分出発の飛行機に乗るために朝の7時に羽田にやってきたところです。初っ端から旅程が狂ってしまう―それも根底から―事態となってしまいました。あれだけ、乗り継ぎの心配をしていたのに、出発便が遅れることはほとんど頭になかったのが不思議です。

 

航空会社のカウンターで振替便を探してもらう列に並びながら、もしかしてマイアミ経由になるかな?と期待(美味しい蟹が食べられる)をしていると、モンテゴ・ベイで頭がいっぱいの社長が登場、その念が通じたのか、当初の予定より数時間遅れるだけでニューヨーク経由でモンテゴ・ベイへに乗り込める便を手配されてしましてもらうことができました。なおこの後、ニューヨークでも乗継便にぎりぎり飛び乗るような羽目に陥り、散々な旅の始まりとなりました。当面は、不要不急の海外旅行は避けることをお勧めします。

ところで、ニューヨーク経由便は搭乗時間が非常に長く、13時間ほどかかります。ちなみにニューヨークからジャマイカまでは約4時間です。仕方がないので映画でも、とニューヨークへ着くまでに4本も見てしまいましたが、ラインナップの中に「イン・ザ・ハイツ」という映画がありました。マンハッタン北部にあるワシントン・ハイツという、カリブのドミニカ共和国からの移民が多く住む実在の地区を舞台にしたミュージカルです。

登場人物は全てドミニカとプエルトリコを中心とするラテン系移民とその家族で、音楽もサルサ、メレンゲ、レゲトン、ボレロなどラテンのリズム。初めて聞く曲ばかりながら、極めてキャッチ―で、2時間半があっという間に過ぎていきました。(準主役の子たちが歌うお気に入りの曲をご紹介しておきます。)

主人公は、ワシントン・ハイツで小さな商店を経営しながら、小さいときに離れた生まれ故郷のドミニカ共和国へ戻り、お父さんがやっていた「スエニート」という海辺のバーを再建したいという夢を持っています。スエニートとはスペイン語で「ささやかな夢」という意味です。

主人公だけでなく、登場人物は人種の違い、不法移民としての立場などそれぞれ問題を抱えながらも、皆明るく、そして誰もがささやかな夢をもって生きていました。その様がけなげで、ずっと目をウルウルさせながら見ていました。(おかげで乾燥した機内の中でもコンタクトは快適な装用感)

とはいえ彼らは――といっても映画の登場人物ではなくカリブからアメリカなどにやってきた実際の移民の人たちの話ですが――そもそも生まれた国で生計が立てられれば、故郷に住み続けることができれば、一番幸せだったのではないか。そんなことも考えてしまいました。

ジャマイカは人口が300万人弱ですが、アメリカを筆頭に英国、カナダなどにも100万人が移民として移り住んでいます。近年失業率は下がっており、10%を割っているようですが、若年層に限るとその数字は20%まで跳ね上がります。今のところジャマイカの農業におけるシーアイランドコットンの占める位置はごくごく小さなものですが、少しずつでも量を増やしていき、より多くのコミュニティに収入の機会を提供できることができるなら。。。これが私たちの「ささやかな夢」です。

今回のジャマイカ視察ではそんな夢が更に膨らむような出会いがありました。でも、それはもう少し先の話です。

モンテゴ・ベイから拍子抜けするほど綺麗なハイウェーを使い無事キングストン入りした私たちは、まずジャマイカの栽培事業復活当初からお世話になっているJADFの事務所を訪問しました。JADFは私たちと農家さんの仲立ちをしてくれるNPOです。この時期、ジャマイカ北東部の畑はすでに収穫を終えていたため、畑を直接視察は出来ませんでしたが、農家のホラスさんがわざわざキングストンまで来てくれていました。でもホラスさん、何だか浮かない顔。もしかしてコットンが取れなかった?

我々の心配は杞憂で、コットンは昨年に依頼した分きっちりと収穫されていました。しかし、より深刻なのは、ここジャマイカでもインフレが進行し、肥料、農薬、燃料など、ことごとくシーズン当初の想定を超えて値上がりしてしまったということです。彼が首都まで出てきたのは、綿花価格の交渉のためでした。。。

暫く話し込み、予算表なども見せてもらい、現状のままでは持続可能ではないということを私たちも納得し、合意に至りました。

日本のお客さんの顔も思い浮かびましたが、農家さんがコットンを作ってくれないと海島綿のサプライ・チェーンは始まりません。近年まで5か国で栽培されていたカリブ産海島綿は、今や実質的にジャマイカでしか栽培されていません。この希少なコットンを後世に伝えていくには、参加者全員が満足できる関係でなければならない。そこには当然農家さんが含まれます。これまでにも何度も書いてきた私たちの「持続可能性」の考え方ですが、それを再び実感させられるミーティングでした。

その後、エバンスさんの運転でキングストン近郊にあるジン工場に行ってまいりました。畑から収穫されたシードコットン(種が付いたワタ)はここに持ち込まれ、ワタと種に分離され、輸出できる形に処理されます。ジン工場では今まさに日本に向けて送られるコットンが急ピッチでジンを通されているところでした。この後、圧縮されたコットンは正確に重量を図られ、コンテナごと消毒され、日本へと旅立ちます。

日本にいつ着くのかという不安はありますが、とりあえずモノが無いという事態は無いという事が分かってホッとする我々にエバンスさんが言いました。

「ところで、新しい農家グループが海島綿栽培にトライしているのだけど、見に行く?」

ここから出発前には予期しなかった展開となっていくのでした。

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