第2章旅するシーアイランドコットン 第4話 | シーアイランドコットン|シーアイランドクラブ株式会社

お気軽にお問い合わせください

03-3662-1301 受付時間(平日 9:30~17:00)

コラム

NO-IMAGE
コラム

第2章旅するシーアイランドコットン 第4話

第4話
~100年ぶりの復活と3つの鍵(後篇)~

大学を後にし、再び畑のあるエルパソ近郊へと戻りましょう。

今までに何度となくこの地を訪れましたが、天気の多くは晴れ、運が悪いと曇り、さらに運が悪いと肌を切るような冷たい風が加わります。綿花の収穫期となる秋は太陽が出るのと出ないのとでは体感温度が全く変わります。砂漠気候の特色でしょうか。

ただ一度だけ最高に運が悪かったのか、嵐に遭遇したことがあります。嵐といっても風雨を伴うものではなく、「砂嵐」であります。しかし周囲は砂場ではなく荒れ地ですので、砂ぼこりで薄暗くはなりますが、ハリウッド映画によくでてくるような絶望的な状況ではありません。

その代わりと言っては何ですが、かの地ではこういうものが襲ってきます。

この巨大なヘチマたわしのような物体は『タンブルウィード』(転がる草?)といいます。西部劇の中でよく出てくるので皆さんもご存じでしょうが、現実世界で転がっているのを見ると最初は唖然とします。

運転しながら写真は取れないので、上の画像は時も場所も違うものですが、その時は視界の悪い中を無数のタンブルウィードが、それも大きなものはボンネットより背の高いものが、がけ崩れの岩石よろしくフリーウェイの横からゴロゴロと迫ってきて、恐怖を感じる光景でありました。

ただ周りのクルマを見ると特に気にする様子もなくタンブルウィードを避けずに進んでおり、無理に避けるほうがむしろ危険なようなので私もそのまま弾き飛ばしてみると、しょせんは枯草の塊ですのでたいした衝撃もなくパーンと砕け散り、結構面白いんですね。ただ、後で見るとクルマに細かい擦り傷が残っていました。

いきなり脱線しましたが、クルマを南に走らせあたりに再びコットンの畑が見え始めると、我々のシーアイランドコットンが栽培される農場もすぐそこです。

私たちが契約する農場はファミリー経営で、お父さんと息子さんの親子で私たちが必要なアメリカン・シーアイランドコットンの原綿を一手に生産してくれています。とはいえ、畑は一か所ではなく、テキサスとニューメキシコにまたがる一帯の複数の畑に分散して栽培されています。その理由はリスク分散です。先ほどの砂嵐など、さぞやコットンには脅威だろうと思うのですが、より怖いのはコットンボールをたたき落とし、枝をへし折る雹(ひょう)だそうです。実際に「今年はあそこの一角がやられた」といったセリフを訪問のたび聞くことになります。

この一帯は比較的狭い範囲に綿花畑が集中する特徴的な場所です。ほんの少し北の方へ行くと、あたりはピーカンの果樹園に置き換わるのは前回お話した通りです。

周囲で栽培される綿花の大部分は超長綿のピマ種や長綿のアカラ種のファミリーなどで、私たちのシーアイランド種はちっぽけな存在ではありますが、そもそもどうしてこの地域に綿花栽培が集積しているのでしょうか。調べてみると色々と綿花栽培に好都合なこの周辺の環境条件が明らかになってきました。

まずは何といっても日照時間です。日照時間が大事なのは植物全般に言えることですが、特にコットンの繊維の成長はこの多寡がカギとなります。実はこの日照時間にかけてはこの地域はコットン栽培の「理想の地」ともいわれてきたカリブ地域を凌駕する3,700時間を記録します。1年は365日ですので、一日に平均10時間(!)という一見信じがたい数字となります。

一方で、気温に関しては常夏のカリブ地域とは違い、標高約1,100mで砂漠気候のここでは昼夜の寒暖差があります。この差は昼間すくすくと育ったファイバーが夜に休むサイクルを生み出すだけではなく、害虫の拡散を鈍らせ、コントロールをしやすくするというメリットをもたらします。

シーアイランドコットンの歴史において、私たちは何度も20世紀初頭に起きた害虫による米国東海岸での栽培断絶について言及してきました。長綿に比べると長い生育期間を要する超長綿は、それだけ害虫の攻撃を受けるリスクも高く、シーアイランドコットンが米国からカリブ地域に戻ってから現在に至るまで、カリブの栽培国における害虫対策はその年の出来高を大きく左右する最重要事項であり続けています。

その害虫リスクが低いこの「土地」の存在は、100年経った現在における米国でのシーアイランドコットン復活の大きなカギといえます。そのすぐ近郊の大学施設で、シーアイランド種を含む超長綿の「種」の研究が行われてきたことも、おそらく偶然ではなく必然だったのでしょう。

これら「土地」および「種」を使い、最高のシーアイランドコットンを栽培する最後のカギと言える「農家」さんが、先ほど登場いただいたファミリーです。彼らはもちろんシーアイランドコットンだけを栽培しているのではなく、超長綿ではピマ種、その他にも長綿も栽培しています。綿花栽培のプロ中のプロと言える一家です。

彼らは最新の設備を駆使して、効率よくシーアイランドコットンを栽培します。アメリカン・シーアイランドコットンの原綿を栽培する畑は、カリブ産地のものと比べ、明らかな見た目の違いがあります。論より証拠で写真を見ていただきましょう。

米国のシーアイランドの畑は、開いたコットンボールの密度がカリブ産地に比べけた違いに大きいのが見て取れます。これには二つの理由があり、まずはそもそも育種の段階でコットンボールの育つタイミングがばらつかないように選抜されていること、そしてもう一つは、秋にやってくる「キリングフロスト」と呼ばれる霜の存在です。この霜が到来するとコットンの成長は完全に止まり、コットンボールが開き始めます。

このような自然に任せる部分も多いため、栽培に使用される農薬も必要最小限。それゆえに一家の栽培するアメリカン・シーアイランドコットンの原綿は環境、社会負荷の少ない原綿栽培の基準を設定する「ベターコットンイニシアチブ(BCI)」の認証を取得しています。アパレル業界においても重要視されているSDGs(持続可能な開発目標)とも関連が深いBCIですが、彼らはもともと米国農務省によって要求される厳しい環境基準を満たしてきたため、BCIの認証は新たに特別なことをするまでもなくクリアーできてしまったとのこと。

さて、畑全体のコットンボールが開き切ると収穫シーズンの始まりです。この地におけるシーアイランドコットンは、機械で収穫されます。

私が通い始めた当初は、ハーベスター(収穫機)は文字通りコットンを掃除機のように吸い込み収穫するだけで、収穫されたコットンを加工場に運びやすいようにモジュールと呼ばれる圧縮した塊にする別工程を畑の脇でやらなければなりませんでした。

その後、彼らは最新式のハーベスターを導入し、今では収穫と圧縮を一つの機械で出来るようになり、効率が格段にアップしています。この収獲の様子はなにやら不思議な生き物の活動みたいで、見ていると結構面白いです。収穫しながら時々機械の後ろから「生み出される」円筒状のモジュールを、でかいフォークのようなものを付けたトラクターでトラックに積み込み、ジナリー(ジン工場)と呼ばれる最終加工場に運びます。

ジナリーではアメリカン・シーアイランドコットンの原綿を日本に輸出するために最後の加工がおこなわれます。コットンの繊維、つまりワタは、コットンの種から髭のように生えていて、収穫されたコットンは、種にワタがくっついたままです。この種からワタだけを取り出して、輸出用のコンテナに積みやすいように同じ重さ、形に圧縮するのがこの施設の役割です。

加工はほぼ全自動で、畑から持ってきたモジュールをシステムの一端から投入すると、入り組んだパイプの中をコットンがエアーで移動していき、その過程でゴミなどの異物が取り除かれ、種が落とされ、最後は圧縮されて500ポンド(226.8㎏)の原綿のベール(俵)となって出てきます。このベールがコンテナに88俵(つまり20トンの原綿)積まれたものが一つの単位となります。

なお、ベールが梱包される前に、一つ一つワタのサンプルが採取され、これらのサンプルは長さ、強度など原綿の品質を判断する試験にかけられ、日本への輸出の際にはそのデータも併せて送られてくるため、細かい品質管理も万全であります。

原綿を満載したコンテナは陸路西海岸のカリフォルニア州ロングビーチへと運ばれ、そこから海路、名古屋にある原綿倉庫まで旅してきます。

こうして20世紀初頭に起きた断絶から時と場所を超えて復活し、私たちの元へと届けられる米国産のシーアイランドコットンは、この物語の冒頭で紹介させていただいた最新鋭の紡績工程によってそのポテンシャルを最大限に引き出された「アメリカン・シーアイランドコットン」の糸となり、私たち自らの手で日本のお客様に届けられます。

と、このような過程を見せてもらう合間に一家と食事をご一緒いただくのですが、向かうのはたいてい地元のステーキハウスです。私はステーキが大好物で、アメリカはとにかく美味しいステーキがリーズナブルにいただけるということで、肉がダメな私の上司と行く際も忖度ゼロでステーキ屋さんに行きます。

今ではお父さんから栽培をほぼ任されていて、多忙なためお昼を同席していただけない場合も多い息子さんが注文するのはどでかいTボーンステーキ。付け合わせはなく、ジョッキに注がれたアイスティーを何度もお替りしながら、黙々とひたすら肉を食べます。

こうなるとお父さんの方は牛の半身でも食べているのかな?と目をやった私は、鱒(マス)のグリルに温野菜の付け合わせを召し上がっている(しかもそれを奥さんとシェアしている)彼の姿を思わず二度見してしまうことになります。話を聞くと、体重が重すぎてひざにガタがきているので、ダイエットに留意しなければならないとのこと。いやもう、健康は大事です。息子さんも若いからといって無理をせず、いつまでも良質のコットンを栽培し続けてほしいものです。そういう私は翌朝も日本へ帰国する中継地点のダラス空港においてモーニングステーキをいただきましたが。(毎回食べる話ばかりですみません。)

そんなこんなで畑の訪問を終え、空港の近くのホテルへと戻る途中のエルパソ市内。先ほどの砂嵐の影響で、それぞれ片道三車線と二車線の道が交わる大きな交差点の信号が故障していました。感心したのは交通整理がいないにもかかわらず、4方向からの車が順番に3台、2台、3台、2台、、、と一列ずつ整然と通行していたことです。

私がなじみのあるアメリカよりさらに南にある某国でしたら皆我先にと突っ込んで身動き取れなくなるでしょうし、日本でも警察なしにあそこまでできるかどうか。黙々と綿花を栽培する一家もそうですが、ごく普通の人たちによる秩序だった行動に、これがアメリカの底力かと感じた次第です。

一覧ページへ戻る
<< 第3章シーアイランドコットンが「特別」な訳 第1話
第2章旅するシーアイランドコットン 第3話 >>
PAGETOP
ページトップヘ