第2章旅するシーアイランドコットン 第3話 | シーアイランドコットン|シーアイランドクラブ株式会社

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第2章旅するシーアイランドコットン 第3話

第3話
~100年ぶりの復活と3つの鍵(前篇)~

今からおよそ100年前、アメリカ合衆国の東海岸におけるシーアイランドコットン産業が幕を閉じました。

それまでこのコットンは、サウスカロライナ、ジョージア、フロリダ各州沿岸地帯の湿った土地において、多くの農家によって競うように栽培されていました。カリブからもたらされた上質のバルバデンセ種のタネが、アメリカにおける栽培の中心となったジョージア州シーアイランドの名を冠し、「シーアイランドコットン」と呼ばれるようになっていたのです。

そのシーアイランドコットンを壊滅させたのはメキシコからやってきたゾウムシの一種でした。その名が示すように長い鼻、、、ではなく口を持つこの昆虫は、コットンボールを汚染してその商品価値を失わせてしまいます。栽培期間が長いシーアイランドコットンはこの害虫の影響をまともに受けて壊滅し、それ以後地域の綿花栽培は、バルバデンセ種と同様に新大陸期限のヒルスツム種から派生したアプランド種(長綿)に置き換わってしまいます。

以来100年近く、アメリカにおける綿花栽培の中心はアプランド種となり、超長綿種もシーアイランドコットンがエジプトで交配された品種を祖先に持つ現在では「ピマ」と呼ばれる品種となり、その産地もアメリカの西部乾燥地帯に移りました。

一方でアメリカの農家によって独自に磨かれてきたバルバデンセの種は、その栽培の終焉と同時期に、今度は「シーアイランドコットン」としてカリブに里帰りをし、20世紀の間に英国農務省の努力により「West Indian Sea Island Cotton(西印度諸島海島綿)」の名で世界最高峰のコットンの名声を得ることとなったのです。そのカリブ産シーアイランドコットンは現在ジャマイカを主要産地として、私たちが再び日本から世界に向けて発信しようとしています。

ただ、旅するコットンであるシーアイランドコットンの歩みはここで終わりではありません。ジャマイカとは別のもう一つのストーリーとして、1世紀の時を超えて再びアメリカの地においてシーアイランドコットン(海島綿)復活の物語がすでに始まっています。

私たちが目にしているアメリカにおけるシーアイランドコットンの復活は、3つの鍵となる要素が奇跡的に揃うことにより成し遂げられました。今回及び次回の物語では、これらの要素について詳しく見ていきます。その3つの鍵とは「種子」「土地」「農家」です。

今となってはその経緯は不明ですが、20世紀のある時期までカリブ海東部の小アンティル諸島にあるモンセラート島という小さな島で栽培されていたシーアイランドコットンの品種であるMSI種が、1980年代にニューメキシコ州の州立大学の研究所に持ち込まれました。大学はシーアイランドコットンのみならず世界各地から様々なコットンの種を取得し、交配を繰り返してアメリカの綿花産業に貢献してきました。

カリブのシーアイランドコットン栽培国が英国から独立すると、その種子の管理は厳格化され、おそらく今同じようなプロジェクトをゼロから立ち上げるのは困難と思われます。私たちはこの大学との出会いに加え、自分たちでカリブ地域においてシーアイランドコットン栽培に直接携わっていたというアドバンテージがありました。

私たちが直営農場から独自に持ち込んだシーアイランドの種子と大学のブリーディング技術が組み合わさり、2013-4年シーズンよりカリブのシーアイランドコットンのDNAを100%受け継ぎ、かつ品質もその名を冠するにふさわしい品種の商業栽培を始めることができました。これがアメリカにおける100年ぶりのシーアイランドコットン栽培となったのです。その2年後、日本市場においてこの原綿を100%使用した「アメリカン・シーアイランドコットン」の糸がデビューしました。

それではこのアメリカン・シーアイランドコットンの「種」がどのように開発されたのか見てみましょう。

現代のアメリカン・シーアイランドコットンの栽培地への入り口はテキサス州エルパソです。この国境地帯の町はテキサス州とニューメキシコ州の州境にあり、さらに市の南部はメキシコとの国境に接しています。この国境と並行して流れる川が、かの有名なリオ・グランデ(あだ名はリオ・ブラボー)です。コロラド州のロッキー山脈南部を水源とするこの川はまずニューメキシコ州を北から南へと貫き、エルパソにおいて現在のメキシコにぶつかるとその進路を南東に変え(むしろ川が国境になったというのが正確ですが)、テキサス州の南端を縁取りしながらそのままメキシコ湾へと流れ込みます。

そのリオ・グランデという名前(スペイン語で「大きな川」の意)そのものや西部劇でも有名らしいというイメージから、初訪問の時、私はなにやらグランドキャニオンみたいなものを想像していました。実際はグランドキャニオンというよりは渋谷川で、しかも水が流れているのを私は見たことがありません。ある日農家さんに「ところでリオ・グランデはどこですか」と聞いたら「さっき渡ったよ」といわれて、あの帯状の荒れ地がそうだったのかと初めて気が付く始末です。聞くと、この地域では川は地下水となり、地表を水が流れるのは一年の一時期だけとか。

さて大学のあるラス・クルーセス市は、ニューメキシコ州内をリオ・グランデの浸食作用で造られた谷を60㎞程北上したところにあります。実はこの谷が綿花栽培に非常に適した気候を持つ谷で、フリーウェイの西側には確かに綿花畑がたくさん見受けられるのですが、意外とその範囲は狭く、15分ほど車を走らせるともう景色は広大なピーカンナッツ(細長いクルミみたいなナッツで、食べ始めると止まらない)の林に変わってしまいます。

そうこうしているうちに、あっという間にラス・クルーセス市に入ります。ラス・クルーセスについたとたん、フリーウェイはそのまま北にアルバカーキ、コロラド州デンバー方面へ向かうI-25と、西方向にアリゾナ州ツーソン、フェニックスを通りカリフォルニア州ロサンゼルスへ向かうI-10とに分かれます。大学はその分かれた道に挟まれる形で広大なキャンパスを形成しています。目指すは農学部の建物です。

私たちがお世話になっている教授は中国系のアメリカ人ですが、高等教育(もちろんコットン専門)は中国で修め、カナダを経由してアグリビジネスで働いた後、アメリカにやってきました。ここでは仮にZ教授と呼びます。「オーケー、オーケー」が口癖でそういう時はたいていオーケーではないのですが、コットンにかけてはアメリカ西部では右に出るものはない、、、とよく自分で仰っています。

冗談はさておき、私たちは大学を通じてZ教授の研究を支援する形の産学協同プロジェクトを立ち上げ、アメリカン・シーアイランドコットンの復活に留まらず、それを継続的に改善していく体制を整えました。栽培作物全般に言えることなのかもしれませんが、コットンは毎年繰り返し栽培を続けていくと品質が劣化していくといわれています。そのため、理想としては数年ごとにフレッシュな種を農家さんに供給してあげることが必要になります。

私たちのミッションはシーアイランドコットンを後世に伝えていくことですから、そこには「100%シーアイランド種」という大きな制約条件が付きます。そして、当然のことながら品質を伴い、かつ農家さんに採用してもらえるだけの収量が期待できるなど、同じくらい重要な条件がいくつもあります。大学が所有するリソースだけではこれらをクリアーできるとも限らなかったため、私たち自身もカリブ地域の自社農園で選別されてきた種を持ち込み、研究のサポートをしています。それゆえ、得られた種を他には出ないエクスクルーシブ種にすることもできました。

このようにして得られた「種」が、「土地」および「農家さん」と結びつくことにより、アメリカン・シーアイランドコットンを形づくることになります。当事者が言うのも厚かましいかもしれませんが、おそらく一企業のレベルで、いや、もしかすると国家レベルでも超長綿をここまでして極めようとしているケースは世界を見渡してもないと思われます。単に栽培された綿を買って糸にして売るだけでなく、コロンブスの時代から続くこの稀有なコットンの歴史を継続させていくため、私たちはカリブ、アメリカの二つの土地で活動を続けていきます。

1月28日にUP予定の次回では大学から再びエルパソ方面へ南下し、シーアイランドコットンの畑をご紹介させていただきます。

ここからは余談ですが、Z教授のところを訪問するときのお楽しみを幾つかご紹介します。

まずは食。ニューメキシコは1836年のメキシコからのテキサス独立に端を発するアメリカとメキシコの戦争の結果としてアメリカに「売却」されるまでメキシコ領でした。そのため(?)、ラス・クルーセスの町中にもメキシカンレストランが軒を連ねています。いわゆるTex-Mexというもので純粋なメキシコ料理とは違いますが、固いことは言わず別のジャンルと考えればそれはそれで美味しい料理です。

ラス・クルーセスで私のお気に入りはMesilla地区にあるLa Postaというお店です。Mesillaはアドベで造られた建物とコロニアル調の建物が入り混じり、一種独特の雰囲気を持つ地区です。

80年の歴史を持つLa Postaも趣のある店構えで、理由は分かりませんがピラニアの水槽があることを除けば、店内の雰囲気は完全にメキシコです。12月に入ってから訪れると店内はすでにクリスマスツリーなどの装飾が施され、暖かい気分にさせてくれます。エンチラーダ、アドボ、タマルなどのコンビネーションプレートもしくはステーキのファヒータにオルチャータ(シナモン風味のライスミルクのような飲み物)の組み合わせが私のお決まりのオーダーです。

もう一つは、ホワイト・サンズ国定記念物という観光スポットで、アメリカン・シーアイランドコットンのイメージポスターにも使用されている白い砂漠です。ニューメキシコは砂漠気候に属しますが、谷を外れるとあたりの景観は砂というより褐色の荒れ地という感じであります。しかし、大学から東方へと山を越えて車で1時間ほどの場所にあるこのホワイト・サンズは、一帯が石膏の砂で覆いつくされた砂丘地帯で、車でどんどん中へ入っていくと瞬く間に景色が純白になっていくという稀有な体験ができます。あまりの白さにサングラスがないと目が痛くなるほどです。ところどころに屋根付きのBBQブースがあるのはさすがアメリカという感じです。子供たちは粗利滑りをしていたりと、家族で遊びに来ている人たちも多く見られます。(なお、ホワイト・サンズへの道中には国境管理の検問があり、ホテルにパスポートを忘れた外国人は面倒なことになるのでご注意ください)

そして最後はエルパソ背後の山にある展望台から眺める夜景です。エルパソの人口は60万人ほどでそれだけだとおそらく大したことはないのでしょうが、国境のメキシコ側にはエルパソと対を成すシウダー・フアレス市があります。エルパソと経済的つながりが強いこの都市はおそらくエルパソの3、4倍くらいの人口規模で、この二つの都市が合わさった夜景の素晴らしさは、私の写真ではお伝え出来ないかもしれませんので是非その目で見ていただきたいです。

残念ながら去年だけでなく今年も現地訪問することは出来ないかもしれませんが、普段は毎年秋に赴いており、その際にはお客様をご案内することもできます(費用は自腹ですが!)。食べ物は好き嫌いあるでしょうが、ホワイト・サンズと夜景はこれまでご同行いただいた全ての方にご満足いただいており、必ず立ち寄っていただきたいスポットであります。

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