第2章旅するシーアイランドコットン 第1話 | シーアイランドコットン|シーアイランドクラブ株式会社

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コラム

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コラム

第2章旅するシーアイランドコットン 第1話

第1話
~超長綿の源流~

「この湧き水はアマゾンの最初の一滴なんだよ」と村人が教えてくれました。今から15年ほど前、ペルー高地のとある村はずれでの出来事です。

標高4,500mという日本では体験しようもない高地にある舗装もされていないトンネルをバスで揺られた酔いと、酸素が薄いためか激しい頭痛に見舞われた私は、新鮮な空気を吸おうと外でぼんやり立っていました。なだらかな山肌のそこかしこから湧き出る水が、幾つか纏まっているものの小川と呼ぶにはまだ弱々しい水流となり、村の方向へと流れていきます。アマゾンという言葉から受ける印象とはあまりにもかけ離れた光景でした。

「アマゾンは世界一長い河なんだ。その一端を見ることができて、あなたは幸運だ。」半信半疑の私にかまわず村人は続けます。私は、世界一長いのはナイル河ではなかっただろうか?と思いながらも村人のプライドを傷つける気は無く、「はい私は幸運です」と当たり障りのない会話をした記憶があります。

のちに調べたところ、実際にアマゾンは長さではナイルの後塵を拝し世界二位に甘んじるものの、面積では世界一のようです。南米大陸の北半分に葉脈のように無数の支流を持っている大河なので、さもありなん。ついでに例のトンネルは世界で二番目に高いところにあるとのこと。確かに貴重な体験ができたのは幸運でした。





前置きが長くなりましたが、お待たせしました、ここからは川ではなくコットンの話です。

私がアマゾンの源流を目撃した場所から北西に900㎞程離れたペルーとエクアドルとの国境付近の海岸沿いには、かつて正真正銘の「世界一の長さの源流」がありました。

アンデス山脈から太平洋側に流れる川は下流で辛うじて農業を営むことのできる土地を形成し、そのような土地には古代から人口の集積が起こり、無数の文化をはぐくんできました。そこには少なくとも今から5,500年を遡る昔から人々がコットンを利用していた形跡があります。ロープでネットを作り、魚を捕ったり石をまとめて建築物の礎にもしていたということです。

そのコットンは学術名をゴシピウム・バルバデンセといい、これがこの物語の主人公、現在世界一の繊維長を誇るシーアイランドコットンの源流となります。

これは想像になりますが、南米からカリブにかけての地図を見ますと、このバルバデンセは今のエクアドル、コロンビア、ベネズエラと海岸にそって広がっていき、そこからトリニダードトバゴをはじめとする小アンティル諸島(カリブ海の東側を囲む島々)へと人と共に渡っていったものと思われます。

このコットンが歴史に初めて記されるのは15世紀末のコロンブス到達に始まるヨーロッパから渡来した人々の手によるもので、それゆえバルバデンセという学名も原産地である南米ではなく、小アンティル諸島のバルバドス島にちなみます。

シーアイランドコットンは並外れた繊維長を持ち、その糸は滑らかで美しく上品な光沢をもつためヨーロッパ人の心をつかみます。英国が大西洋におけるプレゼンスを高め、西印度諸島にコロニーを築き始めるのは17世紀前半でした。英国人入植者の手によりここに本格的にバルバデンセの栽培、品種改良がはじまりました。

その品質は1792年にはトバゴ島で栽培された綿花が278番手の糸となり、ヨーロッパにおいて一般的に流通していたアプランド綿の約400倍という高値がつけられるまでに高められました。

この品質のよい綿花をカリブの外においても栽培しようという試みは何度もなされたようですが、それがアメリカにおいて花開いたのは英国からの独立に伴う混乱も落ち着いてきた1785年前後でした。バハマ経由でバルバデンセの種が持ち込まれた土地はジョージア州そしてサウスキャロライナ州のシーアイランド地方でした。シーアイランドコットンの名前の由来となった土地です。

「シーアイランド」というと、カリブ海で栽培されるから、とよく誤解されるのですが、もとはといえばこのアメリカの地域名です。ちなみにアプランドはシーアイランドとの対比でつけられた名前です。直訳で海島綿に対して陸地綿とも呼ばれていました。このシーアイランドコットンは海辺の湿った空気に特徴付けられる気候でよく育つため、その栽培の広がりは最盛期でもサウスカロライナ、ジョージア、フロリダのやはり沿岸地帯に限られました。

純粋なシーアイランドコットンを違う土地に移植するその他の試みのほとんどは気候条件が合わず失敗し、代替案として取られたのは、それぞれの土着の品種をシーアイランドコットンと交配することでその土地で育つ新たな品種を人為的に作り出すことでした。このようにして、「超長綿」と呼ばれる一連の綿花の品種が生み出され、インドにおいてはスビン綿が、エジプトにおいてはギザ綿が開発され、後者はさらに米国においてピマ綿の元となり、再びペルーピマとして故郷に戻っています。

結局アメリカにおけるシーアイランドコットンの栽培は1920年前後まで続きました。この頃、大量発生した害虫ワタミゾウムシ(ボールウィーブル)によりアメリカのシーアイランドコットン栽培は壊滅的なダメージを受け、ついに復興することは無かったのです。

アメリカにおいてシーアイランドコットンの栽培がまだ盛んになされていた一方で、カリブにおいてはサトウキビ栽培がバルバデンセ種の栽培を隅に追いやっていました。それどころか、南北戦争(1861-65)によってアメリカ南部の綿花供給が縮小しているいわば好機とも呼べる時期にも質的に見劣りのする種類の綿ばかりが栽培されている状態でした。なおこの時に機会をつかんだのがエジプトで、アメリカから持ち込まれたシーアイランド種を元に交配を行い、現在確立された超長綿の産地としての地位への一歩を踏み出しています。

しかし1904年、カリブのサトウキビがヨーロッパで補助金栽培される砂糖大根との競争にさらされるという環境の中、英国農務省は代替作物としてサウスカロライナ州より最良品種とされていたリバータイプのシーアイランドコットン種を逆輸入し、再びカリブの土地に復活させる後押しを始めました。記念すべき西印度諸島海島綿の誕生です。

カリブでの栽培はその4年後にはまたたくまに5,000俵を越え、アメリカにおける綿花栽培が害虫に強いといわれるアメリカン・エジプシャン綿に入れ替わった後は、カリブ地域が唯一のシーアイランドコットンの産地であり続けていました。

 このようにカリブ海におけるコットンの栽培は、それがアメリカにおいてシーアイランドコットンと呼ばれるようになる前にせよ後にせよ、「大英帝国の関わり」というものが非常に大きな役割を果たしております。このような経緯から、新大陸よりもたらされるこの高級なコットンが早い段階から英国王室のお気に入り素材となっていったのも不思議ではありません。

 古くは16世紀末にエリザベス1世がシーアイランドコットンのシーツやネグリジェを使用していたというエピソードに始まり、20世紀に入ってからは皇太子時代のエドワード8世(のちのウィンザー公爵)がシーアイランドコットンの愛好者であることを公表されたりもしております。またフィクションの世界でも、ジェームズ・ボンドはシーアイランドコットン製のシャツを愛用しているというのがイアン・フレミングによる原作の設定となっております。
英国政府は更に1932年に西印度諸島海島綿協会(WISICA)を設立して、カリブのシーアイランドコットン産業を総合的にバックアップしました。エリザベス女王を名誉総裁に戴いたこともあるこの機関は、当初こそイギリス連邦の植民地統治機関の下部機関の扱いでしたが、1980年代前半までにそれぞれの島国が独立をした後は、カリブ諸国が主体となって運営をしております。

このように、超長綿の「源流」ともいうべきシーアイランドコットンは、カリブ海諸国であるジャマイカ、バルバドス、アンティグア、ネービスそしてベリーズで栽培されておりましたが、様々な諸条件により現在はジャマイカおよびバルバドスの2か国での栽培となっています。この貴重な綿花を持続的に栽培し続けるため、カリブ海諸国の綿花栽培に適した諸条件を満たす別の地で数十年の月日を費やし、このシーアイランドコットンの栽培に成功した綿花がアメリカン・シーアイランドコットンです。
弊社が扱っている綿花はカリビアンシーアイランドコットン(ジャマイカ産)とアメリカン・シーアイランドコットン(アメリカ産)の2種類となります。

次回(12月22日アップ予定)は、これらのシーアイランドコットンを栽培している産地について説明をしますので、ご期待ください。

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