第2回「シーアイランドコットンのルーツ(1)」 | シーアイランドコットン|シーアイランドクラブ株式会社

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第2回「シーアイランドコットンのルーツ(1)」

第1回のコラムでは、シーアイランドコットンが属する綿のカテゴリーである「超長綿」についてご説明しました。また現存のすべての超長綿(ピマ、ギザ、スビン、新疆などなど)がシーアイランドコットンをルーツに持つことも再確認しました。この第2回のコラムでは、そのシーアイランドコットン自体のルーツについてもう少し掘り下げてみます。

天然繊維としてのコットンは遅くとも紀元前2,500年頃には古代インドや南アメリカにおいて人類による利用が始まっていた形跡が見られます。農作物というものは長い年月をかけて人の手が加わり、もともと自然に生息していた現生種からは似ても似つかないものになるのが常です。それではシーアイランドコットンのルーツはどこまで判明しているのでしょうか。

まずは500年ほど時をさかのぼってみましょう。

1492年。コロンブスがアメリカ大陸「到達」の第一歩としてカリブ海北部のバハマ諸島の一つに上陸した年です。このときコロンブスが島の先住民から受け取った贈り物の中に綿のボールがあったと伝えられています。

後年の研究で、このときコロンブスが目にした綿花は、南米のペルーとエクアドルの現在の国境近辺の海岸地帯を原産とし、15世紀にはバハマ諸島のルカヨ族や大アンティル諸島のアラワク族により栽培されていたバルバデンセ種(第1回でご説明したG. Barbadense)であることがわかっています。

ただ、コロンブスの航海を支援したスペイン王国は黄金と良きキリスト教徒となりうる先住民にしか興味が無かったため、この時点ではこの綿花、バルバデンセが彼らの目を引くことはありませんでした。

そのスペインのカリブにおける覇権は長くは続かず、スペインの無敵艦隊を破った英国が大西洋におけるプレゼンスを高め、西印度諸島にコロニーを築き始めるのは17世紀前半でした。英国人入植者の手により、ここではじめて本格的にバルバデンセの栽培、品種改良がはじまりました。

その品質は1792年にはトバゴ島で栽培された綿花が278番手の糸となり、ヨーロッパにおいてアプランド綿(G. Hirsutum)の約400倍という高値がつけられるまでに高められました。

この品質のよい綿花をカリブの外においても栽培しようという試みは何度もなされたようですが、それがアメリカにおいて花開いたのは英国からの独立に伴う混乱も落ち着いてきた1785年前後でした。バハマ経由でバルバデンセの種が持ち込まれた土地はアメリカ東海岸のジョージア州そしてサウスキャロライナ州のシーアイランド地方。「シーアイランドコットン」の名前の由来となった場所です。

「シーアイランド」というと、カリブ海で栽培されるから、とよく誤解されるのですが、もとはといえばこのアメリカの地名です。ちなみにアプランド(Upland)はシーアイランドとの対比でつけられた名前です。直訳で海島綿に対して陸地綿とも呼ばれていました。このシーアイランドコットンは海辺の湿った空気に特徴付けられる気候でよく育つため、その栽培の広がりは最盛期でもサウスカロライナ、ジョージア、フロリダのやはり沿岸地帯に限られました。

(第3回に続きます)

Photo credit:Phirosiberia Viajes_de_colon.svg@Wikipedia

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