500年の時を紡ぐシーアイランドコットン
シーアイランドコットン(海島綿)の物語


世界最高級綿花の発見
500年前、コロンブスが到達したカリブ海の島で栽培されていた綿花は、のちにその品質から英国王室や貴族たちを魅了し、すべてを凌駕する綿として珍重されることになります。


品質を物語るエピソード
1792年トバコ諸島からロンドン市場に持ち込まれた綿花から278番手という極細の糸が紡出され1ポンド20ギニーという、当時の米綿取引値の400倍で取引されたエピソードは、この綿が史上最高峰の綿であるということを裏付けています。


カリブ産のコットンがヨーロッパ全土へ
17世紀のヨーロッパに於ける綿花市場でこの綿は花形商品となり、全綿花の70%を占めるまでになりました。
まさに世界の綿市場の中心に西印度諸島(カリブ周辺の島々)産の綿がありました。


主要産地が米国へ
シーアイランドコットンと命名
1790年代、英国に近代的な紡織設備が出揃い、原綿需要が飛躍的に増大したことにより、この綿花の産地も西印度諸島から米国へと拡大してゆきます。
そして、1830年頃になると英国に入る綿花は米国産がその中心を占めることになりました。
当時の栽培地が東海岸のシーアイランド地方だったことから、この綿はシーアイランドコットンと命名されます。


西印度諸島産の復活
一方で20世紀までには西印度諸島における綿花産業は衰退し、これを危惧した英国農務省はアメリカのサウスカロライナから最良品種のシーアイランドコットンの種子を導入し、西印度諸島における綿花栽培の復活を目指しました。
1932年には英国農務省が中心となり西印度諸島海島綿協会(本部バルバドス)を設立しました。


米国産の断絶
時期を同じくして、それまで順調だったアメリカでの栽培は1918年以降に発生した害虫被害により壊滅的打撃を受けます。そこで米国農務省は害虫に強い品種(アメリカエジプシャン)へと栽培を切り替え、米国産シーアイランドコットンの栽培は1922年で終わります。以降、この綿の栽培地は西印度諸島だけとなりました。


初めて原綿が日本へ
海島綿と命名
1975年のエリザベス女王ご夫妻の来日を契機に、日本へのシーアイランドコットンの原綿輸入が認められました。翌1976年に西印度諸島海島綿協会日本支部が設立され、海島綿と名付けられ、以降2000年まで日本が世界で流通する海島綿の100%を輸入していました。
そしてこの時より、日本語で海島綿という呼称が定着しました。
当時の栽培国はバルバドス、ネーヴィス、アンティグア、ジャマイカの4か国です。


米国産シーアイランドコットンの復活
シーアイランドコットン種の研究機関、良質な綿花栽培に最適な土地、超長綿栽培に秀でた農家との奇跡的な出会いを経て、2017年 100年ぶりにアメリカで海島綿栽培が復活しました。
500年の時を紡ぐ海島綿の長い旅は
西印度諸島産がジャマイカを、米国産がエルパソを終着地とし、
そして今日を迎えています。
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